トイレ掃除のお話

最終更新日:2008年9月12日 金

トイレ掃除との出会い
 私は平成5年の9月に㈱エオネックスグループの代表取締役に就任させて戴きました。以後約3年間は何とか自分が思う理想の会社に近づけようとがむしゃらに仕事をしていたように思います。しかし、理論ばかりが先行して、今思うと会社の上層部だけで空回りしていたかもしれません。
 そんな状態が3年間ほど続き、平成8年の7月に現㈱イエローハットの相談役の鍵山秀三郎さんが書かれた「日々是掃除」(ひびこれそうじ)と言う本に出会いました。鍵山さんは昭和36年に独立され、イエローハットの前身のローヤルと言う会社を設立されました。当時会社は豊かではなく社員さんに特別なことは何もしてあげることができなかったために、毎日一人で会社の掃除をされていました。心の荒みを無くすために特にトイレは念入りに行ったそうです。最初の10年間は毎日毎日一人でされたそうですが、10年が過ぎた頃から一人また一人と掃除に参加するようになり、およそ40年経った今は掃除が「社風」となり、ほぼ全員でされているそうです。
 また、会社の近隣も併せて掃除をされ、その鍵山さんの「掃除哲学」に感銘を受けた全国の経営者達が中心となって「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」を設立され、今では全国各地で活動が展開されているといったことがその本には書かれていました。
 本を読み終えるとしばらく涙が止まらなかったことを覚えています。なんで掃除の本を読んでこんなに涙がでるのかわかりませんでした。

鍵山さんとの出会い
 鍵山さんの本を読んだ次の日の朝から、早速会社のトイレ掃除を始めました。会社のトイレは毎日女子社員さんが中心となり掃除をしてくれていたので、そんなに汚いとは思っていませんでした。しかし、小便器の水濾しを外すと中には尿石がびっしりとくっついていて、そこから悪臭が漂ってきました。ヤスリやマイナスドライバーで時間をかけて削り落とすとやっと綺麗になってきました。その他にも気づいていない箇所がとても汚れていたりしていて、やり始めると夢中になっている自分がいたのです。
 始めた頃は、タバコの吸い殻や痰などを平気で捨ててあったり、手洗い場の周りなどびしょびしょにして使ってあったりすることがよくありましたが、毎日掃除をしていくうちにそんな行為は無くなってきました。改めて人間は綺麗な所を汚すことには躊躇するものなんだなぁと気づきました。春や秋は掃除はし易く気分も良いのですが、冬は水道水が冷たく手や足が悴んでしまいます。また、夏はトイレのような密室はとても暑く、わたしのような汗っかきは終わる頃にはバケツの水をかぶった状態になっています。それでも自分で始めて一年間、出張以外は休まず続けることができました。誰かがこんなことをやってくれていたのだと思うと感謝で一杯でした。同時に一年前の自分と比べると何か余裕が感じられるようになってきたのです。
 平成10年に私は(社)金沢青年会議所の研修室の室長を拝命していました。新入会員の方達の研修等も行う部署でしたので、迷わずトイレ掃除を行うことにしました。金沢市の小池という所にある、重度身体障害者施設「希望ヶ丘」でトイレ掃除をさせて戴くことになったのですが、その時に始めて「日本を美しくする会・掃除に学ぶ会」のメンバーで野瀬英介さんを紹介して戴き、野瀬さんの御指導でトイレ掃除を新入会員の方々と行いました。とても感動的で、この活動は平成17年の現在まで続いています。

 「希望ヶ丘」のトイレ掃除が縁となり、平成11年の6月に野瀬さんにイエローハットの本社で毎日行われている掃除活動に連れて行ってもらえることになりました。前日に品川で泊まり、朝6時に出発して東急大井町線の北千束から歩いて10分くらいの所に当時のイエローハットの本社がありました。6時半頃到着したのですが、もう沢山の社員さん達が掃除をされていました。社内の掃除をされる人、車を洗う人、道端の掃除をする人、空き缶や空き瓶を改修して整理している人、それこそ一般の会社の年の暮れに見られるような「大掃除」の状態です。私も社員さん達に混じって掃除をさせてもらいました。一緒に掃除をされた方は千葉から通っている方で、朝の3時頃毎日起きられるそうです。
 8時を過ぎた頃、会社も会社の近隣もピカピカになり、朝食を戴いた後に、鍵山さんとお話をする機会を戴きました。鍵山さんはとても優しいお顔をしておられ、謙虚さが滲みでているような方でした。


とても感銘を受けるお話を聞いた後、鍵山さんにどうしても参加したかったけれど仕事の都合がつかずこれなかった友人のために何か言葉を贈ってほしいとお願いすると、色紙に「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」という言葉を書いて戴きました。「冬場の寒い霜に打たれながら実った柿の味は甘くて格別であり、辛いことに耐えて頑張り抜いた人の味も柿の味と同様に格別である」という意味ですが、それを受け取った友人がとても喜んだことは言うまでもありません。

石川県で最初「かが・山中掃除に学ぶ会」
 平成11年の7月に能瀬さんが代表世話人を努める石川県で始めての掃除に学ぶ会「かが・山中掃除に学ぶ会」が設立され、私もメンバーに加えて戴きました。山中中学校と山中小学校のトイレを約200人で掃除させて戴き、鍵山さんも駆けつけて戴きました。掃除が終わり鍵山さんを小松空港までお送りさせて戴く時に、色紙を戴いた友人がお礼を言うと、鍵山さんは「人間は順調にいっている時は進歩しないものです。逆境の時ほどいろいろな知識を働かせるもので、むしろ逆境はチャンスなのですよ」とお話しされました。とても胸にしみました。その時から「逆境こそチャンスだ」と思うようにしたら、不思議とさらに人生が楽しく思えてなりません。
 平成12年の10月に北陸郵政局の主催で次期リーダーのための研修会があり、鍵山さんが講師で招かれ金沢に来られました。講演会の次の日に約50名の郵政局の人達と金沢中心部にある中央公園のトイレ掃除を一緒にしました。参加された方はとても感銘を受け、「北陸郵政掃除に学ぶ会」を結成されました。
そしてその年の12月、私の子供が通っていた縁もあり、金沢市西南部小学校で約230名が集まり、「掃除実習IN西南部小学校」というタイトルでトイレ掃除を実施しました。鍵山さんや北陸郵政局の職員さんも多数参加していただき、金沢でのトイレ掃除を普及させる足がかりとなったのです。後日談ですが、「北陸郵政掃除に学ぶ会」は残念ながら解散となりました。上層部の方から勝手に北陸郵政の名を使うなということらしいです。若い人達の心意気も解らず頭の固い人達がまだ多いようです。

小さな贈り物
 平成12年の夏の頃、愛知県に民間施設で「米山寮」という施設があります。身体障害者の方々や虐待児童の方たちをお世話されている施設ですが、現在「日本を美しくする会」の会長をされています田中義人さんの主催でそこのトイレ掃除をさせて戴くことになりました。野瀬さんや友人達と参加をしたのですが、私と一人の友人は幼児虐待を受けて運び込まれた2歳の子供達が使用するトイレの掃除をさせて戴きました。
 ちょうどお昼寝の時間帯で子供達はいませんでした。みんなで2時間程かけて一生懸命に磨いていると、お昼寝から目覚めた子供達がチラチラッとこちらの様子を壁越しに伺っているのが見えます。「こんにちは」と言うとスッといなくなるのですが、またしばらくするとこっそり見ています。そのうち慣れてきて話しかけてきてくれるようになりました。虐待されて連れてこられたというのにとても明るい子達です。きっとお世話されている職員さんが愛情込めて育てられているからでしょう。
 掃除も終わりに近づいた時、一人の子供が私と友人にすっと手を差し伸べてきました。手には2つの丸いガムが乗っていました。おやつに駄菓子屋さんでよく売っている4個で5円くらいのお菓子を一人一個配られ、その半分を持ってきたようでした。その子の一日一回の楽しみを半分もらい、私と友人は涙で顔を上げることもできませんでした。そのガムの味は一生忘れることのできないものになりました。
 施設は大分古くてかなりガタがきている様子でした。個人の善意で建設された施設なのですが、国からは一才補助金といったたぐいのものは出ないそうです。まだまだ使えそうな施設の建て替えに何十億、何百億円もでるのにおかしな国だと思います。現在は有志の方々で募金を行い、改築にむかって頑張っておられます。

父の死とトイレ掃除の実践
 平成13年に入り、私の最大の理解者であった父が、前から患っていた肝臓ガンが悪化し入院生活に入りました。そのため、この年は長期の出張も控え、毎朝のトイレ掃除以外の掃除活動は休止していましたが、家族の思いも空しく、父はこの年の10月29日になくなりました。
 平成14年になって、友人を中心にしたトイレ掃除活動も5年目に入り、だんだん掃除活動に共鳴して戴いた有志の数も増えてきました。このため能瀬さんと相談し、新たに「七尾掃除に学ぶ会」「金沢掃除に学ぶ会」「かが・白山掃除に学ぶ会」の3つの組織を設立し、「かが・山中掃除に学ぶ会」と併せて、石川県で4つの組織となりました。そして私は「金沢掃除に学ぶ会」の代表世話人をさせて戴くことになりました。
 平成14年9月、「金沢掃除に学ぶ会」の最初の活動として、この活動に前々から大変御理解を戴いていました米沢寛さんの御厚意で、米沢さんが理事長をされている金沢市内の若松保育園で保育園の保母さん達と一緒に園内のトイレ掃除をすることになりました。当日は米沢さんをはじめ約40名が集まり、トイレだけではなく園内の隅々まで掃除をしました。保育園の御厚意で掃除が終わった後に豚汁とおにぎりを戴き、その後保母さん達を中心に体験発表をしました。

みんなとても感動的なスピーチでしたが、その中の一人の方が「私は園児がトイレに入る時に扉が開いたり閉まったりするととても嫌な臭いがするので不快に思っていました。でも今日の体験でそんなことを思っていた私がとても嫌になりました。これからはピカピカに磨いて園児に快適な環境を与えてあげたいと思います。」といったお話しをされました。私も胸の奥から熱いものが込み上げてきました。こんな保母さん達に育てられる園児は幸せです。
 平成15年の3月には金沢市立高岡中学校でなんと生徒250名を含む400名が集まり、また12月には金沢市立工業高等学校で350名が集まりトイレ掃除を行いました。これまでになかったことはPTAや先生方の参加ですが、この時には多くの方々が参加して戴きました。始めは数名から始めた活動が少しずつですが広まってきたのは嬉しいことでした。




公園のトイレ掃除
 「金沢掃除の学ぶ会」の問題点は掃除のリーダーがまだまだ少ないことです。そこで新たな試みとしてリーダー養成の研修を少人数単位で行うことにしました。場所は金沢市内に点在するトイレがある公園が適当であると判断し、黙って実施するわけにはいかないので、管理をされておられる金沢市役所の「緑と花の課」を訪ねました。上田哲男さんという課長さんにお会いして活動の趣旨を御説明したところとても興味を持たれ、研修当日にも来られ、実際にトイレ掃除も体験されていかれました。
 西部中央公園のトイレを朝の6時から15名で9時頃まで黙々と掃除をしました。便器はさすがに汚く、尿石もびっしりと着いていてなかなか手強いトイレでした。しかし終わってみるとあんなに嫌な臭いがしていたのにすっかり消え、便器も新品のようにピカピカになりました。私の妻が作ってくれたおにぎりとみそ汁をみんなで食べながら、充実感にしばし浸ったものです。上田さんもとても感動され、公園がある地域の方々とこんな活動ができると素敵ですねとおっしゃっていました。金沢市内でトイレがある公園は103カ所あるそうです。少しずつですが、みんなでこれからも続けていくことにしました。

「かなざわ・まち博」への参加
 かなざわ・まち博は、国土交通省、石川県、金沢市等が後援して2000年から毎年夏休みの間に開催されている金沢のまちづくり運動です。従来型の大きな博覧会とは違い、まちで生活する市民が主役で、まちを構成するあらゆる組織・グループが共同してまちの在り方を考え、創り上げ、その成果を発表し共有していくといったもので、年々その活動の輪は広まってきています。
 その「かなざわ・まち博2004」開催委員会から平成16年の2月に我々の「掃除に学ぶ会」に依頼があり、鍵山さんを講師にお招きして金沢城のまわりの施設でトイレ掃除実習をできないかとの御依頼を戴きました。トイレ掃除活動を啓蒙していく上での大きなチャンスだと思いましたので、快くお受けし、平成16年8月28日に金沢市文化ホールで鍵山さんの講演を戴き、よく29日に金沢城近隣の金沢市立小将町中学校、中央公園、白鳥路のトイレを約220名が参加して行いました。
 鍵山さんの講演には約600人の方々が集まりとても好評でした。また、トイレ掃除実習も鍵山さんにも御参加戴いて、最後の体験発表などはとても感動的でした。



熱き教師達
 金沢市文化ホールで開催された鍵山さんの御講演に一人の教師と高校生二十数名がじっと聞き入っていました。石川県立七尾高等学校の黒坂先生と先生が顧問を努めておられます男子バスケットボール部のメンバー達です。黒坂先生は「かなざわ・まち博」の案内を見て鍵山さんの講演を七尾から電車に乗って男子バスケットボール部のメンバー達と聞きにこられたとのことでした。その真撃な姿勢に鍵山さんが大変喜ばれて、その後の鍵山さんの歓迎レセプションに全員を御招待されたのです。さすがに食べ盛りの子供達、食事をすませた後にもかかわらず、用意された料理はあっという間に無くなり、とても楽しい晩餐でした。
 次の日のトイレ掃除にも全員が参加され、一生懸命に便器を磨いていました。県立七尾高等学校の男子バスケットボール部は毎年県内で上位に行くのですがここ数年金沢高校のハードルをこすことができず、優勝から遠ざかっていました。したがって最後の体験発表でも「今回の経験を生かして必ずインターハイへ行く」「毎日毎日の練習の成果を生かして優勝する」という発表が多く聞かれました。彼らはその後も地道な練習と学校のトイレ掃除を続け、なんと平成17年の1月に行われた新人戦で宿敵金沢高校を破って優勝したのです。黒坂先生の熱き想いと生徒の地道な努力が生んだ勝利に私も思わず胸が熱くなりました。
 黒坂先生の先輩で、現在金沢市立西南部中学校の生徒指導と男子バスケットボール部の顧問をされています三谷先生という方がおられます。三谷先生は野々市町立布水中学校の男子バスケットボール部を全国NO.1にされた実績を持ち、平成15年に西南部中学校に来られたのですが、わすか1年半で男子バスケットボール部を県内NO.1にされた方です。黒坂先生に劣らずの熱血先生で、特に心の教育に力を入れられています。西南部中学校の管内には約40カ所の公園があるのですが、一カ所ずつ部員の方たちと掃除をされているそうです。
 平成17の2月に三谷先生からの要請もありまして、西南部中学校の体育館のトイレ掃除を一緒に先生と部員の方たちとでさせて戴きました。雪の降りしきる厳しい日で便器もとても汚れていましたが、部員の方たちも一生懸命便器を磨いていました。約3時間の格闘の末、あんなに汚かったトイレがピカピカに生まれ変わり、みんなとても満足そうな顔をしていました。三谷先生と部員たちはその後も時間の許す限り、一カ所ずつ学校のトイレを掃除しておられるそうです。
 また、三谷先生は学校の生徒指導もされておられる関係で管内で万引き等の事件をおこした生徒等を警察に引き取りにいくこともあるそうです。ある日二人の生徒を引き取りに行かれた後、何も言わずにその生徒達と一緒にトイレ掃除をしたそうです。生徒は先生の思いが通じたのか、泣きながら一生懸命便器を磨いていたそうです。きっと更正してくれることでしょう。
 公になると都合の悪いことを隠蔽する先生やすっかりサラリーマン体質になり聖職であることを忘れた先生が多い中、こんな三谷先生や黒坂先生みたいな人いないですね。ぜひ抵抗勢力に負けないようにできる限り応援させて戴きたいと思いました。

「10年偉大なり」への挑戦
 鍵山さんがよく言われている中国のことわざで「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年にして歴史となる」ということわざがあります。私も今年の7月でトイレ掃除を始めて10年目を迎えます。偉大かどうかはまだ解りませんが、会社の朝のトイレ掃除も5~6名に増え、金沢でのトイレ掃除活動も少しずつですが盛んになってきました。今年も8月にはまた「かなざわ・まち博」でトイレ掃除実習を行うことも決まり、黒坂先生や三谷先生、上田課長さんも参加していただく予定になっています。トイレ掃除が不思議な御縁となり、父の死という不幸な出来事はありましたが、この十年間は私にとって今までの中で最も充実した期間でした。さらに畏るべしの二十年、歴史となるの三十年が充実した日々となるようこの御縁を大切にして頑張っていきたいと思います。